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七夕の由来って実は怖い!?七夕物語の本当の意味とは?七夕行事の歴史から都市伝説まで

季節の行事
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みなさん、七夕の由来をどのくらいご存知ですか?

あやか
あやか

織姫と彦星が年に一度だけ出会える、ロマンチックなお話ですよね!

……と思っていたら、大間違い!

実は、その裏には意外にも怖い要素が隠されているんです。

今回は、そんな七夕の本当の意味に迫ってみたいと思います。

七夕の行事の歴史から、ぞくっとするような都市伝説まで、七夕にまつわる様々な側面をご紹介します。

七夕の怖い由来とは?織姫と彦星の本当の関係

七夕の由来や織姫と彦星の本当の関係については、意外と知られていない興味深い歴史がいくつかあります。

まず、七夕の由来についてです。

七夕は中国から伝わった「織女牽牛伝説(しょくじょけんぎゅうでんせつ)」に基づいています。

この伝説では、織姫(織女星)と彦星(牽牛星)が登場します。

織姫は天帝の娘で、美しい布を織ることに長けていました。

一方、彦星は牛飼いの青年で、勤勉に働いていました。

二人は恋に落ち、結婚しましたが、結婚後は仕事を怠けるようになりました。

これに怒った天帝は、二人を天の川の両岸に引き離し、年に一度だけ会うことを許しました。

このため、七夕は「一年に一度だけ会える恋人たちの日」として知られるようになりました。

あやか
あやか

一年に一度だけなんてロマンチック~って思ってたけど、ラブラブすぎてお仕事を怠けちゃったのが原因なの!?

さらに、この物語には怖い一面もあります。

実際の星の動きでは、織姫星(ベガ)と彦星(アルタイル)は決して接近することがないため、「永遠に会えない」という悲しい運命が隠されています。

また、二人が引き離された理由が「仕事を怠けたから」という教訓的な要素も含まれており、働くことの大切さを強調しています。

七夕の物語は、ロマンチックな一面と教訓的な一面が交錯する興味深い伝説です。

これらの背景を知ることで、七夕をより深く楽しむことができるでしょう。

七夕の歴史と漢字の意味:昔からの伝統と変遷

七夕の歴史と漢字についての情報も調べてみましたよ。

七夕の行事は奈良時代に中国から伝わった「乞巧奠(きこうでん/きっこうでん)」という儀式が元になっています。

この儀式は、織姫にあやかり、機織りや裁縫の上達を願うものでした。

奈良時代には、貴族たちが庭に祭壇を設けて供物を供え、和歌を綴ったり、裁縫の上達を祈ったりしました。

七夕の行事は、江戸時代になると庶民にも広まりました。

このころに笹の葉に短冊を飾る習慣が生まれ、短冊には願い事を書いて吊るすようになりました。

これは、乞巧奠で織姫にあやかり織物の上達を願ったことに由来しています。

あやか
あやか

願い事を書く習慣はこのころからあったんだね!

七夕の漢字についても興味深い歴史があります。

諸説ありますが、「七夕」という漢字は、もともと「棚機津女(たなばたつめ)」という言葉からきているという説が有力です。

棚機津女とは、神聖な機織り機で神に捧げる衣を織る女性のことを指します。

この棚機津女が神への忠誠心を誓うために7月7日の夕方に禊(みそぎ)を行ったとされるため、「七夕」という漢字が使われるようになりました。

七夕の歴史と漢字の由来を知ることで、この行事をより深く理解し、楽しむことができるでしょう。

七夕にまつわる都市伝説……真相は?

七夕は、織姫と彦星が一年に一度だけ会うことができる日として知られていますが、このロマンチックな物語にはいくつかの都市伝説が存在します。

七夕にまつわる都市伝説について、興味深い情報を集めました。

七夕の夜が雨だと織姫と彦星が会えない説

七夕の夜に雨が降ると、天の川の水位が上がり橋を渡ることができず、織姫と彦星が会えないという伝説があります。

この雨は「催涙雨(さいるいう)」と呼ばれ、二人が会えない悲しみの涙とされています。

雨が降ってもカササギが橋を作ってくれる説

催涙雨の伝説と合わせてもうひとつ。

もし雨が降って天の川の橋が渡れなくても、カササギという鳥が天の川に橋を作り、織姫と彦星を会わせてくれるという伝説もあります。

説によって「(天候に関わらず)普段渡るすべがない天の川にカササギが橋を架ける」などあるようですが、カササギの手助けで二人が会えるのなら、それこそロマンチックですね。

あやか
あやか

この伝承から、鵲の橋(かささぎのはし)は初秋の季語としても使われています。

他にも見つけた怖い都市伝説……信じるか信じないかはあなた次第!?

一方で、七夕には怖い都市伝説も存在します。

ネットで見つけた都市伝説をさらっと紹介すると……

七夕の日に短冊を笹に吊るそうとした少女が、指を切って感染し、原因不明の病気で衰弱していく。翌年の七夕には、少女は自分で願い事を書けなくなっていた。母親が少女の願いを聞くと、「来年の七夕まで生きていられますように」と答える。母親が少女の回復を願う短冊を吊るそうとしたとき、すでに吊られていた短冊に気づく。そこには少女の字で「七夕が二度と来ませんように」と書かれていた。

幼稚園教諭のAさんは教育熱心で、七夕の行事を企画した。ある年、「Aさんがひどい目にあいますように」という不吉な短冊が現れたが、犯人は特定できなかった。翌年、「Aさんがひどい死に方をしますように」という短冊が現れ、その日Aさんは悲惨な交通事故で亡くなった。Aさんの死後、一部の子どもたちがAさんを疎んで短冊を書いたことが判明した。

次の七夕では、「みんながひどい死に方をしますように」という短冊が現れたが、これは子どもたちが書いたものではなく、恐怖を感じさせた。

あやか
あやか

ロマンチックからは程遠い、怖い話になってしまいましたね……

あくまでこれは現代の都市伝説なので、信じるか信じないかは、あなた次第……

まとめ

七夕の由来や織姫と彦星の物語には、皆さんはどれだけ知っていましたか?意外と知られていない面白い事実がたくさんあるんです。

中国から伝わった「織女牽牛伝説」、織姫と彦星は仕事を怠けたために引き離されてしまったという、ちょっと怖い教訓も隠されていました。

さまざまな背景を知ることで、七夕をより深く楽しめるはずです。

これからの七夕は、新しい視点で楽しんでみてはいかがでしょうか?